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成立の歴史

ラムパーン自治体は元々スカーピバーン(地方自治団体の一つ)であったが、仏暦2478年3月25日に勅諭によってラムパーン自治体が設置された際に、自治体に格上げされた。スワンドーク町、ウィエンヌア町、フアウィエン町、ソップトゥイ町の4つの町からなる10.86平方キロメートルの土地を持つ。仏暦2534年10月24日、勅諭によって土地の区画が変更された。ラムパーン自治体の新たな統治は拡大し、さらに11.31平方キロメートル増え、22.17平方キロメートルとなった。それと同時に1.16平方キロメートルのボーへオ町、3.80平方キロメートルのチョムプー町、6.13平方キロメートルのプラバート町、0.22平方キロメートルのピチャイ町の4つの町が加わった。仏暦2542年11月11日以降のラムパーン自治体の8つの町とは、旧来の4つとボーへオ町、チョンプー町、プラバート町、ピチャイ町である。総面積は22.17平方キロメートルであり、これは北部においてチェンマイ自治体に次いで2番目の広さの土地を持つ自治体であった。

ラムパーン自治体は、ラムパーン県と同様に白い鶏をシンボルとしていた。これは、5人の仙人が「ラムパーン自治体はかつて白い鶏の町を意味する“ククッタナコン”という名で呼ばれていた」と伝えたという伝説に由来する。伝説によると、ブッダが悟りを開いた後にサムパガンパガリニ付近で衆生を済度した。これは現在のラムパーンの都である。人々に徳を積ませるためにインドラ神は白い鶏に姿を変えた。ブッダは「今後この地域は繁栄した都になるだろう。ここで都市を建設する者が現れるであろう」と予言し、この都市を白い鶏の町を意味する“ククッタナコン”と名付けた。

所在地と規模

 ラムパーン自治体は、ラムパーン県ムアンラムパーン郡ソップトゥイ町チャットラチャイ通り246に位置している。バンコクからは1号パロンヨーティン線国道を使うと602キロメートル離れている。そして電車の場合は625キロメートル離れていることになる。近隣の県は以下の7県である。

  北方角 チェンマイ県、チェンラーイ県、パタヤ県

  南方角 ターク県

  東方角 プレー県、スコータイ県

  西方角 ラムプーン県

 

22.17平方キロメートルの土地面積を持ち、以下の8つの町からなる。

 1仏暦2478年3月25日以降 土地面積10.86平方キロメートルでありスワンドーク町、ウィエンヌア町、フアウィエン町、ソップトゥイ町の4つの町からなる。

 2仏暦2534年10月24日、勅諭によって土地の区画が変更された。ラムパーン自治体の新たな統治は拡大し、さらに11.31平方キロメートル増え、22.17平方キロメートルとなった。8つの町からなり、それは旧来の4つとボーへオ町、チョンプー町、プラバート町、ピチャイ町である。

 

町(旧)

土地面積の合計

町の土地(新)

土地面積の合計

1. スワンドーク

2. ウィエンヌア

3. フアウィエン

4.ソップトゥイ

10.86

1.ボーへオ

2.チョムプー

3.プラバート

4.ピチャイ

1.16

3.80

6.13

0.22

地域全体の土地面積の合計 22.17平方キロメートル

 

近隣の領土

  ラムパーン自治体はラムパーン県ムアン郡の中心にあった。平地と川に面した平野からなるのが特徴である。盆地の真ん中付近またはラムパーン県の中心付近に位置する。ラムパーン県はその土地を2つに分類することができる。

(1)左側 スワンドーク町、フアウィエン町、ソップトゥイ町、チョムプー町、ピチャイ町、プラバート町からなる。

(2)右側 ウィエンヌア町、ボーへオ町からなる。大部分が古い堆積物や新しい堆積物が堆積してできた豊かで質の良い平地であり、いずれにせよ農業には適した土地であった。ラムパーン自治体は都市の中心であり、大きなコミュニティだった。そのため土地の多くは人々の居住地、商業施設であり、そして一部の郊外の土地は自治体の領域内にあるプラバート町やチョムプー町のような農業のための土地であった。

 ラムパーン自治体の土地面積は22.13平方キロメートルであり、以下がある。

  北方角 ピチャイ町

  東方角 プラバート町、ピチャイ町

  西方角 ボーヘオ町、チョムプー町

  南方角 プラバート町

経済と社会

総合的な経済状況と社会状況

ラムパーン自治体の経済状況は総じて、貿易営業部門と経営産業部門における生産からなっていた。そのためラムパーン自治体は経営サービス、商業、観光経営の中心であり、県の産業発展の源であった。ラムパーン自治体内の貿易営業の中心は2カ所あった。ソップトゥイ町の周辺は、農業製品や雑貨などの様々な原料の輸送といった類の中心業務地区であった。町のもう一つの古くからの商売の中心はスワンドーク町とフアウィエン町の周辺である。ここは県の大きな商売の中心であった。雑貨、生鮮物の市場、服や寝具などの市場、また百貨店、ホテル、娯楽施設、銀行などもあった。人身売買も比較的多い場所であり、将来におけるその地区の発展にとって重要な場所であった。

 

 地方のコミュニティの特徴

 人口の多くは自治体の領域内に散らばって住んでいた。ラムパーン自治体のコミュニティはワン川沿いと以下の4つの地域に集中していた。

1.南の方角のお堀の近辺…その地域の重要な中心業務地区

2.ラムパーン駅前の地域…商業地区と居住地

3.ワン川の北側の地域(ポンサヌック通りとラーサダーピセーク通り近辺のお堀内部)…宿泊施設が集まる地域

4.チョムプー地区内部 セラミック産業の中心であり、宿泊施設が集まる地域

国の地理と気候の特徴

国の地理

 ラムパーン自治体は領域内の地方統治組織である。海抜268.60メートルに位置し、平地と川に面した平野からなるのが特徴である。盆地の真ん中付近に位置し、南部の地域よりも高度が高く、ワン川に傾いているワン川北部の地域を有しており、町の中心である。北東から南西まで、2つの地域に分かれている。左側はスワンドーク町、フアウィエン町、ソップトゥイ町、チョムプー町、ピチャイ町、プラバート町からなる。右側はウィエンヌア町、ボーへオ町からなる。大部分が古い堆積物や新しい堆積物が堆積してできた豊かで質の良い平地であり、いずれにせよ農業には適した土地であった。

 ウィアンヌア町とフアウィエン町はかつて古い町があった場所であった。つまり1代から3代までのラムパーンの町は、1300年以上の歴史がある。現在でも古代遺跡が残っている。例えば仏塔、古代の町の防壁、古い堀などである。

 気候の特徴

 ラムパーン県の土地は、盆地である。そのため年間を通して気温と湿度が高い。気候   の特徴を3つの季節に分ける。3月頃から5月までの暑季であり、4月などの最も暑い時に湿度も高くなる。そして5月から始まる雨季、11月から2月までの寒季であり1月は最も寒くなる。

 ラムパーン県ムアン郡における降水量と気温(2555年1月1日〜12月31日)

 

項目

仏暦2555年

年間降水量

1176.8ミリリットル

最高降水量

115.9ミリリットル(仏暦55年6日)

最低降水量

0.0ミリリットル(11月)

降水日数

129日

最高気温

39℃(仏暦55年4月26日)

最低気温

9.7℃(仏暦55年1月17日)

仏暦2555年においてラムパーン県の最高降水量は5月の115.9ミリリットルであり、最低降水量は11月の0.0ミリリットルであった。最高気温は4月の39℃、最低気温は1月の9.7℃であった。

地方統治

地方統治とは、中央政府が権力を行使したり権力を分散させたりするような統治を意味する。地方統治は組織を持つことによって地方の住民に地方とコミュニティの統治に参加する機会を与えるためのものである。担当する組織は裁量の自由を有し、地方役員とは切り離された立場において、業務の執行において必要な予算と役員を有する。しかし地方統治組織はそれ自体が統治権を持っているわけではなかった。依然として適切な方法に従って中央政府の管理下に置かれている必要があった。

 

 原理

 統治についてはっきりと述べた法律に基づいて設置された法人としての地位を持つ組織である。

 経営においては自由の権利を持つ。

 自らの予算と収入がある。

 組織の経営者たちはその地方の住民のすべてもしくは一部によって選ばれる。

   

 地方統治の目的

 ・経営の効率向上のため。

 ・節約。

 ・中央政府の負担の軽減。

 ・住民に民主主義について教える学校である。

 

地方統治の重要性

・地方の問題解決の手助けをする。それによって地方住民は外部の人よりもその問題をよく知ることができるからだ。

・住民は自分たちで統治に参加する。それは住民に国レベルでの統治に関する知識を与えることと同様である。

・金銭や係員の労働の面での負担を軽減する。

・もしも地方が安定すれば住民は経営者を信頼することになり、住民に対して責任を持つようになる。

・中央政府の負担を軽減するだけではなく、住民に自分たちで統治することを教えることができる。

 

管理方法

・法律による。

・調査による。

・地方議会の解散による。

・支援金の制定による。

・財政に関する規則を定めることによる。

・国の計画と一致するような計画を立てる過程による。

自治体の形での地方の仕事

自治体はタイの地方統治組織の一形式である。現在仏暦2496年に国会が制定し、国王

が署名した法律が法人としての地位を与えた大元となる法律である。自治体は3種類に分類することができる。それは自治区、自治町、自治市である。

 

自治体の設置

自治区は、地方から格上げされて自治区になったものである。法律は人口や人口密度については定めてはいないが、定めていることもある。以下の通りである。ある程度の人口密度があり、法律が定めているような義務を果たすのに十分な収入がある地方であることだ。格上げされてそこの自治区になる地方の多くは、かつて公衆衛生の形で地方統治組織であった地方だ。仏暦2542年にマハートタイの省が国会が制定し署名した法律がスカーピバーンを格上げして自治区に変更することを認めた。仏暦2542年5月25日から効力を持ち、スカーピバーンの形で地方統治組織であった地方のすべてが自治区に変わった。

 

 自治町

  自治町に格上げされる地方の特徴は以下の通りである。すべての県の市役所の所在地である地方である。その地方はその他の規則を考慮することなしに自治町となることができる。県の市役所の所在地はないが、自治町に格上げされる地域に関しては以下のような特徴を持っていなければならない。人口が1万人以上いて、さらに法律が定めるような義務を果たすことができるのに十分な収入がある地域であることだ。

 

 自治市

  自治市に格上げされる地方は以下のような特徴を持っていなければならない。人口が5万人以上いて、さらに法律が定めるような義務を果たすことができるのに十分な収入がある地域であることだ。

 

教育 宗教 伝統 芸術文化

  ラムパーン自治体は6つの学校を持っている。

  1. 第1自治体学校(バーンセーンムアンムーン)
  2. 第3自治体学校(ブンタウォンアヌクーン)
  3. 第4自治体学校(バーンチェンラーイ)
  4. 第5自治体学校(バーンシーブンルアン)
  5. 第6自治体学校(ワットバムアック)
  6. 第7自治体学校(シーリナウィンウィタヤー)

 

  6つの学校すべてが異なるレベルで教育を行っている。すなわち、

1.幼児から小学6年生レベルの教育を行っている学校…第1自治体学校(バ 

  ーンセーンムアンムーン)、第3自治体学校(ブンタウォンアヌクーン)、第6    

  自治体学校(ワットバムアック)

   2.幼児から高校3年生レベルの教育を行っている学校…第4自治体学校(バーン  

     チェンラーイ)、第5自治体学校(バーンシーブンルアン)、第7自治体学校(シ   

     ーリナウィンウィタヤー)

自治体の設置

自治体はタイの地方統治組織の一形式である。現在仏暦2496年に国会が制定し、国王

が署名した法律が法人としての地位を与えた大元となる法律である。自治体は3種類に分類することができる。それは自治区、自治町、自治市である。

 

自治体の設置

自治区は、地方から格上げされて自治区になったものである。法律は人口や人口密度については定めてはいないが、定めていることもある。以下の通りである。ある程度の人口密度があり、法律が定めているような義務を果たすのに十分な収入がある地方であることだ。格上げされてそこの自治区になる地方の多くは、かつて公衆衛生の形で地方統治組織であった地方だ。仏暦2542年にマハートタイの省が国会が制定し署名した法律がスカーピバーンを格上げして自治区に変更することを認めた。仏暦2542年5月25日から効力を持ち、スカーピバーンの形で地方統治組織であった地方のすべてが自治区に変わった。

 

 自治町

  自治町に格上げされる地方の特徴は以下の通りである。すべての県の市役所の所在地である地方である。その地方はその他の規則を考慮することなしに自治町となることができる。県の市役所の所在地はないが、自治町に格上げされる地域に関しては以下のような特徴を持っていなければならない。人口が1万人以上いて、さらに法律が定めるような義務を果たすことができるのに十分な収入がある地域であることだ。

 

 自治市

  自治市に格上げされる地方は以下のような特徴を持っていなければならない。人口が5万人以上いて、さらに法律が定めるような義務を果たすことができるのに十分な収入がある地域であることだ。

 

 教育 宗教 伝統 芸術文化

  ラムパーン自治体は6つの学校を持っている。

  1. 第1自治体学校(バーンセーンムアンムーン)
  2. 第3自治体学校(ブンタウォンアヌクーン)
  3. 第4自治体学校(バーンチェンラーイ)
  4. 第5自治体学校(バーンシーブンルアン)
  5. 第6自治体学校(ワットバムアック)
  6. 第7自治体学校(シーリナウィンウィタヤー)

 

  6つの学校すべてが異なるレベルで教育を行っている。すなわち、

1.幼児から小学6年生レベルの教育を行っている学校…第1自治体学校(バ 

  ーンセーンムアンムーン)、第3自治体学校(ブンタウォンアヌクーン)、第6    

  自治体学校(ワットバムアック)

   2.幼児から高校3年生レベルの教育を行っている学校…第4自治体学校(バーン  

     チェンラーイ)、第5自治体学校(バーンシーブンルアン)、第7自治体学校(シ   

     ーリナウィンウィタヤー)

人口

人口の多くは自治体の領域内に散らばって住んでいた。ラムパーン自治体の集団はワン川沿いと以下の4つの地域に集中していた。

南の方角のお堀の近辺…その地域の重要な中心業務地区

ラムパーン駅前の地域…商業地区と居住地

ワン川の北側の地域(パンサヌック通りとラーサダーピセーク通り近辺のお堀内部)…宿泊施設が集まる地域

チョムプー地区内部 セラミック産業の中心であり、宿泊施設が集まる地域

ラムパーン自治体の住民達は、マハートタイ省の政策に従ってコミュニティを形成していった。国民達に自らの自治体の統治、防衛、問題解決と発展に参加させるためである。それは生活の質を高めるためでもある。コミュニティの数は41ある。

予算

ラムパーン自治体の予算

自治体の年間予算は市条例に基づいている。もしも予算の市条例が新年までに間に合わなければ、その間は前年の予算を使わせる。与えられている予算に対して、予算が足りないかったり、年の始まりに収入と支出を新たに定める必要性が出ることもある。2496年の勅諭に従って市条例に予算を増やさせる。勅諭はラムパーン自治体の収入源を次のように定めている。

⑴法律が定めている税

⑵法律が定めている手数料、許可料、修繕料

⑶自治体の資産からの収入

⑷公共福祉と商売からの収入

⑸法律が定めている公債や負債

⑹省、局や組織などからの負債

⑺政府もしくは県を統括する組織からの支援金

⑻支援者によるその他のお金や資産

⑼法律が定めているその他の収入

 

1.収入

市条例の情報を調べると、仏暦2549年から2552年におけるラムパーン自治体の収入はおよそ4億バーツ超である。収入の多くは政府からの支援金である。続いて政府が定めた税からの収入である。いずれにせよラムパーン自治体の税の徴収から得られる収入はおよそ2億バーツ超である。税の徴収から得られる収入は減少傾向にある。例えば2550年の税の徴収からの収入概算は216.730バーツであった。しかし税の徴収からの収入は214.296.938バーツであった。2551年には収入概算は220.630バーツにまで上がったが、税の徴収からの収入は204.156.019.43バーツほどしかなかった。これは概算よりも3000万バーツ以上少ない。いずれにせよ、税の徴収から得られる収入の割合を細かく吟味すると、徴収からの収入が減少した原因は政府がそれを減らすようにしたからであることがわかった。そしてラムパーン自治体は動物を殺傷することにかかる税収入がないことも原因として挙げられる。

収入に関する予算 仏暦2549年から2552年までのラムパーン自治体の年間予算

2.支出

市条例の情報を調べると、仏暦2549年から2551年におけるラムパーン自治体の支出は3億バーツから5億バーツである。支出の多くは支援金の一部における支出である。それは一般的な支援金そして使用目的が記されている支援金の両方である。特別な活動のための支援金のうち、自治体と社会に対するサービスにおける予算の割合は50パーセントにまで及び、自治体はより高く設定する傾向がある。それだけではなく、ラムパーン自治体を強化していくことに関する支出の割合は非常に低い。2549年には支出全体の0.82パーセントしかなかった。しかしこの割合は高くなってきている。コミュニティと社会のための建物建設における支出が2549年と2550年は40パーセント以上になった。2549年には45.69パーセントにまで上がったが、2550年、2551年、2552年と年々この分野での支出の割合は減少してきている。

安全面の整備

生命と資産の安全に関わる整備

ラムパーン自治体内での犯罪事件に関する統計

ラムパーン自治体の住民の生命と資産を管理し、守る役割を果たすラムパーン警視庁の5種類の犯罪事件に関する統計報告によると、犯罪件数は全部で2681件あり取り締まることができたものが1004件、1631人である。未解決のものは32件、32人であり仏暦2550年と比較した場合、以下のことがわかる。

グループ1 凶悪事件…2件減少

グループ2 生命、身体、性を犯した事件…4件増加

グループ3 資産を目的とする事件…24件増加

グループ4 注目すべき事件…18件増加

グループ5 政府が被害を被った事件…44件増加

《犯罪事件に関する統計》

生命や資産の安全を守る集団や組織

ラムパーン自治体の経営または支援のもとで、住民の生命と資産の安全を守る集団や組織は2つある。

⑴市民災害対策ボランティア組織…ラムパーン自治体の権力化にある組織であり、市民に関わる災害を防止し、解決する役割を果たす。統治側にとってはラムパーン自治体の副支配機関である。

⑵ラムパーン自治体市民災害対策ボランティア組織基金…ラムパーン自治体が予算、経営と生命と資産の安全に関する業務の遂行を支援している、ラムパーン自治体の協賛組織である。

 

⑴市民災害対策ボランティア組織は、その組織に関わり持つマハートタイ省の仏暦2547年の規則に従った義務と権利を持っており、その経営管理下にある。市民に関わる災害を防止し、解決する役割を果たす。統治側にとってはラムパーン自治体の副支配機関である。市民の災害対策ボランティア組織によって、仏暦2533年にラムパーン自治体が建設され始め、現在に至るまで18年以上続いている。そして現在この組織には合計1219人の会員がいる。そして組織維持のために2551年には27人の会員のトレーニング費用として200.000バーツの年間予算が与えられている。2552年には50人の会員のトレーニング費用として100.000バーツの年間予算が与えられている。

 

⑵ラムパーン自治体市民災害対策ボランティア組織基金 ラムパーン自治体は仏暦2533年から2536年までの1代目から4代目まで、仏暦2536年5月まで見返りや支援金もなしに、この組織を支援し市民に関わる災害を解決してきた。マハートタイ省は本の中でこの組織の活動を次のように賞賛している。「とてもいい事例である。いかに自らを犠牲にしているか、そしていかに本気であるかが伝わってくる。すべての組織が活動の指針にするべきである」それ以降、ラムパーン自治体は住民サービスのための建物を市民に関わる災害を解決する活動のための3つ目の拠点として使用することを許可した。そしてそれはラムパーン自治体の責任下、経営管理下にあり、仏暦2537年2月13日に“ラムパーン自治体市民災害対策ボランティア組織基金”として設立した。

重要な場所

 サーンジャオポーラックムアンは南西方角ラムパーン県庁の前に位置している。ラックムアン(市の守護神を守るための柱)はチークでできている。100年以上前に建てられたと推定されている。一つ目の柱は仏暦2400年、二つ目は仏暦2416年、三つ目は仏暦2429年、そして2440年と続く。県庁を建設する際にラックムアンを持ってきて県庁の前に置いた。そして2511年に4つのモンド(アーチとピラミッド形の屋根を持った四角い建物)を三本のラックムアンを囲むようにして建てた。毎日6時から17時まで開いている。

 プラプッタニラローカーンタラーイチャイワットチャトゥラティットはラムパーン県庁の前に建てられている。サーンジャオポーラックムアンの近くである。四面体のタイ様式のモンドの中に置かれている。仏像はその全体が黒い合金で作られており、あぐらを組んで瞑想する姿勢をしている。地元の人々はルアンポーダムと呼ぶ。仏暦2511年に防衛省によって建てられ、国の4つの方角すべてに置くために仏像は4体ある。北の方角としてラムパーン県に置かれることになった。国を象徴する仏像とみなされ、国民の信仰の場であった。現在は参詣する檀家によって仏像全体に金箔が貼られている。

 ラーサダーピセーク橋あるいはカーオ橋はラーサダー通りにある。この町を建設した人が、お祝いの儀式からラーサダーピセークと名付けた。ラーマ5世の治世下、サパーンラーサダーピセークは現代と文明時代の橋であった。つまり第一次世界大戦と第二次世界大戦には電車が通っていた。カモフラージュで塗装し、さらにはこの橋はかつてのウィサーナリー学校の責任者であり、当時の同盟国の軍隊の相談役であったルーシー・スダーリンの戦略に何の利益もないことを主張することによって同盟国側の爆撃から生き残った橋だった。錆びた鉄で支えられている木製の橋であったために仏暦2460年3月に改修工事が行われた。鉄で支えられたコンクリート製の橋となり、現在は残っていない同じ年代の橋よりも耐久性があるものとなった。この橋の近くでは白い鶏のシンボルが見られる。そして橋の上部には黄色い迦楼羅が飾られている。ラーサダーピセーク橋に到着するまでのところには最も大きな朝市であるラーサダー市場がある。

ラーサダーピセーク橋

 ワット・プラケオ・ドンタオ・スチャーダーラームはウィアンヌア区スチャーダー通りにある。非常に古く美しいお寺である。1000年前に建てられたものであり、仏暦1979年から仏暦2011年まで32年間にわたりプラプッタマハーマニーラッタナパティマーゴン(プラゲーオモーラゴット)が置かれていた場所でもある。このお寺がワット・プラケオ・ドンタオと名付けられた所以は、この寺の僧侶がエメラルドの石をすいか(北部の方言ではマークタオと呼ぶ)の中から見つけ、仏像を彫ったという伝えにある。しかしそれ以降、現在に至るまで仏像はワット・プラタート・ラムパーン・ルアンに置かれている。

 ワット・プラケオ・ドンタオの中でも重要な場所は以下の通りである。プラバロムタートドンタオ、ブッダの髪が収められている大きな仏塔、涅槃仏が置かれているこのお寺と同じくらい古い拝殿、それだけではなくパーマンウィチャイの仏像が置かれている拝殿、プラナーンジャンテーウィーによって作られたプラジャオトーンティット拝殿である。これは1000年以上前に作られたものであり、チェンセーン時代の芸術であるプラジャーオトーンティットが置かれている場所でもある。またビルマ形式のモンドあるいはパヤータート、チェンセーンの職人によるラーイカムスジャーダーラム拝殿もある。内部には金で美しい模様が入った壁画があり、チェンセーンの仏像が置かれている場所でもある。またサッタパン(拝殿の中に置かれているロウソクを立てるもの。ランナー語である。)、陶器、仏像などのランナー芸術品を集めたランナー博物館もある。

ワット・プラケオ・ドンタオ・スチャーダーラム

 ワット・ポン・サヌック

 ワット・ポン・サヌックはラムパーン県ムアン郡ウィアンヌア町ポンサヌック村にある。ラムパーン県を象徴する重要なお寺である。ジャオアナンタヨットの時代に、彼はハリプンチャイ王国ジャマデヴィの息子であり、仏暦1223年にケーラーナコン(ラムパーン)を建設した際に作られたと推定されている。これは迷信に基づいているため、考古学に関する証拠に基づかなければならない。

 いずれにせよワット・ポン・サヌックはランナー時代、2世紀のラムパーンにおいて中心となるお寺であった。ワット・ポン・サヌックについて述べている最も古い証拠は仏暦1929年にまで遡る。当時は“ワット・チェンプーム”という名前を使っており、ランパーンを防衛しランナーを攻撃するアユタヤ軍を集めたムーンロークナコンの土地であった。それから500年、北部と南部に分かれることによってこのお寺は名前を変えて“ワット・ポン・サヌック”となった。ナーン県のワット・プーミンの経典は、仏暦2382年と2502年の“ワット・ポン・サヌック・タイ”のお祝いについて述べている。かつて町の長であったクルーバーアーノーチャイタンマチンダームニーの記録には、“ワット・ポン・サヌック・ヌア”の山の模型の改修について述べられている。それから23年、仏暦2429年にワット・ポン・サヌックの大改修が行われた。仏塔を修繕し、チャットラ(傘を幾層にも重ねた道具)、スーム・プラトゥ・コーン(お寺の扉)、プラジャオパン拝殿を作り、300人以上の僧侶を招いてお祝いをした。

 発見された証拠は、ワット・ポン・サヌックの異なる時代における4つの本来の名前について述べている。ワット・シーチョームクライ、ワット・チェンプーム、ワット・ドンゲーオ、ワット・パヤーオ(パヤオ)である。ワット・ポン・サヌックという名前は証拠が残っている最も新しい名前である。少なくとも仏暦2352年から約200年前までワット・パヤーオ(パヤオ)とワット・ポン・サヌックという名前は、仏暦2346年の人々の移住の歴史に関わりがある。それはパヤーガーウィラがチェンセーンの町を攻撃した年である。ビルマが設立され、チェンセーンの住民たちは捕らえられた。ポンサヌックの住民は南下し、ラムパーンを新たな居住地とした。それと同時にパヤーオ(パヤオ)の住民もビルマでの戦いを逃れてラムパーンに南下した。本来の村の名前をそのまま呼ぶことによって、ポンサヌックとチェンセーンとパヤオの住民はワット・チェンプームの近くのワン川沿いに新たな住居を建てた。その後仏暦2386年、ジャオルワムハーロンがパヤオの町を復活させた。クルーバーアノーチャイタンマチンダムニーのクルーバーインチャックプラウバットナーはパヤーオ(パヤオ)の住民を故郷に帰らせた。残っているのは、故郷に帰ることを拒んだ者とポンサヌックの住民と一緒に暮らしている者だけである。したがってお寺と村の名前として、現在のワット・ポンサヌックにしか残っていない。

 自治体の年長者は次のように話す。ワット・ポン・サヌックはラムパーンの町の城壁に隣り合わせになる形で建てられている。内部は畝状になっていて、さらにそれを囲む溝がある。お寺の外側の堀は非常に深く、蓮の花で覆われている。それだけではなく、地面を掘らなければお寺の近くの水が住居に浸水するという言い伝えから、プラジャオパン拝殿が建てられている場所に土を持っていくという慣習があった。これは仏暦2550年5月にモンドーイの上で考古学的な発掘調査がなされたことと一致している。その調査では、川からの土の層が発見された。それはプラタートが建てられている広場のセメントからさらに30センチほど掘ったところに存在していた。しかしそれ以上掘り進めると、7メートル以上ほど続くレンガが交互に並んでいる層が見つかった。これはモンドーイのランナー文化としてのレンガ建築技術を明らかにするものであり、国で初めてのものであった。お寺の前、ワン川からそれほど遠くない場所には大きな水源があり、そこはクムジャオラーチャウォンとクムジャオメースックがラムパーンに建てた場所であった。現在では前にはワット・ポンサヌックがある。その下には150年以上の樹齢を持つ大きなレインツリーがある。次のような話がある。仏暦2411年にクルーバータンマチャイは巡礼に回り、チェントゥンのレインツリーの下に腰を下ろした。そこで種を取って帰り育て、お寺の前のワン川からそれほど遠くないところにある沼地に植えた。現在この沼地が跡形もなく埋められてしまったとはいえ、成長したレインツリーは長い間住民のために木陰を作ってきた。

 ワット・ポン・サヌックの繁栄は様々な文化や建築に現れており、その多くがお寺の下に存在する。例えば仏塔や、涅槃仏の拝殿、120年以上前に建てられ美しくタイのその他の建物の母体となった“プラジャオパン拝殿”である。その一つがチェンライ県のホーカムライメーファールアンである。現在ワット・ポン・サヌックは様々な芸術品が集まっているお寺である。そこにはプラジャオパノンの拝殿の屋根裏から見つかった木製の仏像、130年以上前のプラウェースソンドンの話が絵画として布と桑紙に描かれたもの、木箱、ラーマ6世時代の白象の大きな旗などが収められている。これらはワット・ポン・サヌック・ヒープタム・ラッタナーヌラック・オヌソン博物館とワット・ポン・サヌックヒープタム博物館に展示されている。

ワット・ポン・サヌック

 

 プラジャオパン拝殿の芸術、建築面における遺跡保護に関するプロジェクト

 プラジャオパン拝殿は120年以上前に建てられたものであり、時間とともに劣化が進んでいる。ワット・ポン・サヌック側は、研究者、生徒、学生、公的機関、僧侶、写真家、信者など様々な方面から援助を得ることができた仏暦2544年から“プラジャオパン拝殿の芸術、建築面における遺跡保護に関するプロジェクト”を始めた。プラジャオパン拝殿の修復には計画、技術、古代の様式に従った職人の腕前を大切にするための目標があった。修復期間は4年間であり、ポン・サヌックの自治体と芸術文化面での遺跡保護専門部門と協力する必要があった。具体的なものも抽象的なものも含めて、関連する活動は例えば以下の通りである。

  • 歴史、建築、芸術、環境、信仰、劣化状態、材料、修復計画に関する情報を調べる。
  • 写真撮影、掃除、詳細記録、発見された古代の品物の登録。古代の品物とは木製の仏像、木箱、モンドプラサート、プラボット絵画(布地もしくは桑紙の上に描かれている)である。建物の修復、ワット・ポン・サヌックヒープタム博物館(北部)とワット・ポン・サヌック・ヒープタム・ラッタナーヌラック・オヌソン博物館(南部)の整備を行う。
  • タイ芸術教育部門と協力することによってプラジャオパノン拝殿を保護する活動を行う。タイ芸術教育部門とは、チェンマイ大学芸術学部、シンラパコーン大学建築学部、装飾美術学部、チェンライラーチャパット大学産業技術学部建築教育プログラム、パヤオ・ナレースワン大学ランナー文化建築プロジェクトである。
  • 写真の展示会を開催し、プラジャオパン拝殿の保護活動を広める。“コントゥアレック・ガップ・ガーンアヌラック(小人と保護)”という名のプロジェクトのもと、南部の様々な県を訪ねる。
  • 考古学的な発掘調査を行う。

 

 同時に、以前からお寺側が行ってきた伝統儀式の開催を復活させた。それは政府や民間、県内そして県外から大きな注目を集めた。現在、ポン・サヌックの自治体は北部考古学センター、チェンマイ大学社会学部とのネットワークを利用して、ラムパーン県メータ区の芸術保護活動を行っている。この活動がラムパーン県の僧侶や自治体において大きな反響を呼び、人々に保護について意識させることになった。

 2551年“プラジャオパノン拝殿の芸術、建築面における遺跡保護に関するプロジェクト”は13カ国の15のプロジェクトからUNESCOの2008Asia-Pacific Heritage Awards for Culutural Heritage Conservation(ユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞)においてAward of Merit賞を受賞した。劣化していくばかりであった遺跡を含む自国の遺跡建築の保護に全力を注いだことにおいて、この受賞はポン・サヌックの自治体だけではなく、国全体の次世代に対する誇りとなった。